OBONO’s Diary

へっぽこプログラマの戯言

涼宮ハルヒの消失

今年再放送してたアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」のを見て、その独特の世界観にすっかり虜になってしまった。放映当時、ネットでも話題になっていて、作品名だけは知っていたのに、どうして当時の自分は気にもかけなかったのだろう?

それはそれとして、今年の大掃除もほぼ落ち着き、夜はゆっくりできたので、本日放送していた「涼宮ハルヒの消失」を録画しつつ追いかけ再生して観た。
主人公にとっての当たり前だった奇天烈な日常が、ある日突然、常識的な日常になってしまった。主人公だけがこの変化を認識しているものの、周りの皆は今までと何も変わらないと言わんばかりの反応。主人公はかつての日常を取り戻せるのか、そして、このような状況にしてしまった張本人は一体誰か? その理由は? アニメ本編を見ていないと、映画のストーリーはチンプンカンプンだろうなぁ。

普段の日常に対して退屈しているような精神状態だと、普段の彼らの日常はとても魅力的に映るのだろう。ただ、この年になってくると、日常に対して退屈か、退屈じゃないか――とは別の次元で考えてしまい、安定志向な性格も相まって、退屈でも良いから穏やかな日常を過ごしたいと望んでしまう。
主人公は、この改変された世界を元に戻すかどうかの選択を迫られるのだが、もし自分だったら、常識的な日常を受け入れてしまうだろうなぁ。だって、お気に入りキャラである長門有希が、改変後の世界では、これまでとは別の可愛らしさがあって、そんな彼女がいる世界も良いなと思わせてくれるのだもの。(何言ってんだコイツは…我ながらキモイ…)